名優・田中邦衛さんが2021年3月24日に死去されて
いたことが公表された。
享年88歳で死因は老衰だという。
近年は体力的に衰退していた様子が
複数のメディアに取り上げられていた。
多くの映画・ドラマに出演していた
人気俳優だったことから大きく報道された。
なお田中さんの長女はNHKの広報局長を
務める人物で腕利きのキャスターとして
活躍された淳子氏である。
この関係でNHKはいち早く田中邦衛さんの容体を
把握していたようだが、淳子氏からの一報で
4月2日に報道したようだ。
葬儀については家族葬、香典や献花も辞退、
お別れ会・しのぶ会などについても、
「実施する予定はございません」とのこと。
ファンとしては故人の意思を尊重して
静かにご冥福を祈るしかないようだ。
この記事では、田中邦衛氏の代表作である
『若大将』シリーズや『北の国から』、
『仁義なき戦い』シリーズ以外で、
光る演技を見せてくれた作品をご紹介したい。
1.その前に、俳優・田中邦衛の経歴と人柄
意外な出演作を紹介する前に、
俳優・田中邦衛の経歴を振り返ろう。
1932年、岐阜県生まれ。
麗澤短期大学卒業後、代用教員を務めたが
自信が持てなくて役者の道を選んだという。
3度目の受験で俳優座に入所。
独特の風貌でチャンスを掴んだのは速かった。
25歳で巨匠・今井正監督の映画に出演。
その後は順調に実績を積んだ。
初めての当たり役は「若大将シリーズ」の青大将。
この頃はまだ非常に貧しかったらしく、
3畳一間のオンボロアパート住まいだった。
あるとき共演で親しくなった
加山雄三と酒を飲んで遅くなった折に、
加山が田中の家に泊まろうとするが、
あまりのオンボロさに驚いて
加山が自宅に帰ったという。
まったく飾らない人柄で知られ、
「北の国から」のロケ中には
黒板五郎の勤務先の作業服で付近をうろつき、
完全に地元住民に打ち解けていたらしい。
2.田中邦衛と安倍公房
ひょうきんな役柄が多かった田中邦衛と
理知的で難解な作風で知られる安倍公房。
安倍公房を知らない若者は←を参照あれ。
ノーベル賞寸前で死去してしまった大作家だ。
今でも全世界で彼の小説が読まれている。
この二人の関係を意外に思われるかもしれぬが、
田中邦衛は安倍公房と一時期行動を共にしていた。
舞台がメインだが、映画でも傑作を生みだしている。
・『おとし穴』(1962)
・『他人の顔』(1965)
とりわけ後者は名作として名高い。
2作とも勅使河原宏が監督だ。
3.田中邦衛と黒沢明
田中邦衛は28歳頃から黒沢作品に出演していた。
当時の黒澤明は既に世界の大監督。
椿三十郎では加山雄三と共演しているので、
若大将シリーズでの活躍で黒沢が田中に注目したのか
と考えられそうだが、実はそうではない。
1961年に始まる若大将シリーズの前年、
田中は黒沢の名作『悪い奴ほどよく眠る』に
出演している。
つまりまだ世間が注目していなかった田中を
黒沢監督は見抜いていたのだ。
・『悪い奴ほどよく眠る』(1960)
・『椿三十郎』(1962)
・『どですかてん』(1970)
4.田中邦衛と山田洋次
若者は知らないかもしれぬが、
昭和時代に大ヒットした「男はつらいよ」という
映画があった。
あまりに人気があったので約25年に亘って
48作まで制作されたが、その監督が山田洋次だ。
山田洋次は「男はつらいよ」以外にも
佳作を残しているが、そこにも
田中邦衛は社会の底辺で必死に生きている
労働者役として出演している。
・『学校』(1993)
・『息子』(1991)
この他、「男はつらいよ」にも
2作品出演している。
5.田中邦衛と岡本喜八
岡本監督には気に入られていたようで、
監督別の出演数では最多の11作品に出演。
そのなかでも「肉弾」は絶品。
・『肉弾』(1968)
6.田中邦衛と野村芳太郎
野村芳太郎監督は、世界的な知名度はないが、
市川崑とともに当時の日本映画界で、
最も高い興行成績を叩き出した人物。
・『八墓村』(1977)
「祟りじゃー」のセリフで超有名な作品。
その他の出演作品一覧はこちら
これを機会に、ぜひ観て頂きたい。
コメント