【本当にスゴイ人だった!】小林亜星を悼む!

時事ネタ

また一人、異能の持ち主が世を去った。

大人気作曲家として無数の曲をヒットさせ、
二枚目とは真逆の風貌ながら
まさかの俳優デビュー作が伝説的なドラマとなり、
(しかも「主演」だからね)、
クイズ番組では超人的な頭脳を披露した人物だ。

この小林亜星こそが、
いわゆるマルチタレントの走りである。

彼の名を知らない若者は多いだろうが、
「このー木なんの木、気になる木~♪」
の日立製作所のCMその他で
亜星さんの作品は世代を問わず
日本人のDNAに刷り込まれている。

『小林亜星さん「パッ!とさいでりあ」「チェルシー」「北の宿から」作曲一覧』

<データ>
小林亜星(1932~2021年)
5月30日 心不全のため逝去。享年88歳。
葬儀は親族のみで済ませたという。

 

1.「コバヤシアセイ」って誰?

数年前に職場にて近所に住む有名人自慢をしたが、
その際に、私が小林亜星の名を挙げると、
30歳前後以下の若手社員は「コバヤシアセイ」
の名を誰も知らなかった。

もちろん、40歳代以上の社員は皆知っていたが。

亜星さん、それはもう有名人だったのだ。

亜星さんの訃報が知らされたのは6月14日。
各マスコミが一斉に大きく報じたが、
その動きは6月20日のフジテレビの
「ミスターサンデー」まで1週間続いたこと
からも、どれほど大物だったかがわかる。

2.CMソングの巨匠

亜星さんの訃報を伝えるニュースでは、
決まって彼が作曲した音楽が流れ、
多くの若者でも知っているシーンや、
中高年でも、「え? あの曲も亜星さん
が作曲していたのか!」というシーンが
多々放映されていた。

それはとにかく知名度が高い曲ばかり。
↑のリンクで確認して欲しい。

”このー木なんの木、気になる木~♪”
で知られる日立製作所をはじめとして、
サントリー、日本生命、明治製菓、ブリヂストン等、
多くの企業のCM曲も作曲しており、
亜星さんの訃報を知ったそれらの企業が
一斉に哀悼のコメントを発表した。

『小林亜星さんCMソング作曲の企業 追悼と感謝の声続々 日立製作所、明治、サントリー、ブリヂストン』

著名人の訃報に多くの企業がコメントする
なんて、他には考えられない。

3.まさかの俳優デビュー

大学を卒業後、大手製紙会社に就職するものの、
すぐに辞めてしまい、作曲家に弟子入りし、
音楽業界へ。
CMソングを中心に活動を始め、
1970年頃には、業界でかなり有名人に
なっていたようだ。

1974年、
その魁偉な容貌をTVプロデューサーに買われて、
向田邦子作のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』に
いきなり主役で抜擢され、
このドラマが平均視聴率31%とという
驚異的な人気ドラマとなった。

私はまだ小学校低学年だったので、
このドラマを記憶していない。

なので慌てて近所のTSUTAYAに駆け込んだが、
考えることは皆同じなのか、
DVDは既にSOLD OUT状態。

よって感想は書けないが、
亜星さんの体当たり演技が当時でも
相当に話題を呼んだそうだ。

4.クイズ番組

亜星さんは見かけによらず(?)、
頭脳は抜群に良かったらしい。
高校の同級生によると「超人的」だったとか。

なので大学は慶応の医学部へ進学する。

さらりと書いてしまったが、
慶応の医学部に合格するのは大変なことだ。

私も慶応の出身(文系)だが、
医学部は学内の序列で突出しているので、
「異学部」と呼ばれていた。
普通の学力では到底入学できない。

亜星さんは付属高校出身だが、
その付属高校内でも、医学部進学をめぐる
切符争いは現在でも強烈に熾烈らしい。

元・宇宙飛行士の向井千秋さん(東理大副学長)が
慶応の付属女子高から医学部に進学希望だったが、
推薦枠定員に入れず、一般受験で合格したというが、
このエピソードからも、どれほど医学部への
進学が困難かがわかるだろう。

その卓越した頭脳が炸裂したのが、
クイズ番組『ヒントでピント』。
伝説的な正解率だったという。

4.闘う小林亜星

「寺内貫太郎一家」では昭和オヤジを
演じたが、それは案外亜星さんの
本当の姿だったのかもしれない。
曲がったことが大嫌いなのか。

日本音楽著作権協会という
何かと問題のある団体があるが、
その理事が利権を私している事案が露見した際、
亜星さんは烈火のごとく怒って、
断固戦ったという逸話は有名だ。

5.私と亜星さんとの御縁

個人的なことで恐縮だが、
私にとって小林亜星は自慢の種だったのだ。

何故ならば、超ご近所さんだから。
亜星さんのご自宅まで100mないだろう。

なので年に数回はお見掛けしていた。
何度も握手して頂いた。

「先生、近所の者です。
お元気そうで何よりです!」
と私が声を掛けると、
「あ、そうなの」
といって愛想良く握手に応じてくれた。

亜星さんはフツーに地下鉄に乗っていたし、
フツーに駅前商店街で買い物をしていた。

故人のプライバシーを暴くつもりはないが、
奥様とよく近所に食事に出かけていた。

奥様と連れ立っているときなど、
どうも奥様に頭が上がらない印象だった。

最後にお見掛けしたのは1年ほど前か。
その時も奥様とご家族らしき人とご一緒だった。
いつもニコニコされていた。

今回の訃報が報じられた後に
ご自宅の前を2,3度通ったが、
いつもは灯りのついていない部屋に
煌々とした灯りが灯っていた。

ひょっとして遺影やお骨が祀られて
いるのかもしれないと思って
路上から黙祷した。

 

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